重力波が捉えた『質量ギャップ』ブラックホール:宇宙初期とダークマターの謎に新たな光
重力波が示す新しいブラックホールの姿
宇宙には、私たちの知る物質(原子など)の他に、光を放たず直接観測できない「ダークマター」や、宇宙の膨張を加速させる「ダークエネルギー」といった未解明の存在があります。そして、もう一つの深遠な謎が「ブラックホール」です。極端に強い重力を持つこの天体は、光さえも脱出できないため、その存在を直接「見る」ことはできませんでした。しかし、近年、ブラックホール同士が合体する際に発生する「重力波」を捉える観測技術が進歩し、私たちはブラックホールの謎に迫る新たな手がかりを得ています。
従来のブラックホール形成理論と『質量ギャップ』
私たちの宇宙で発見されているブラックホールの多くは、大質量の星が一生の最後に超新星爆発を起こしてその中心核が潰れることで形成されると考えられています。このプロセスで生まれるブラックホールは、太陽質量の数倍から数十倍程度の質量を持つことが予測されています。
また、さらに質量の大きな星(太陽質量の100倍以上など)の中には、「ペア不安定型超新星」と呼ばれる特殊な爆発を起こすものがあり、この爆発では星全体が吹き飛んでしまい、ブラックホールが形成されないと考えられています。あるいは、ブラックホールが形成されたとしても、太陽質量の数百倍以上の非常に重いブラックホールになると予測されています。
この恒星進化に基づくブラックホール形成理論からは、太陽質量の約50倍から100数十倍程度の質量を持つブラックホールは、ほとんど存在しないか、非常に珍しいと考えられています。この質量範囲は、まるでブラックホールが存在するための「質量ギャップ」のように見なされていました。
重力波観測が捉えた『質量ギャップ』の天体
しかし、高性能な重力波望遠鏡(LIGOやVirgoなど)による観測が進むにつれて、この「質量ギャップ」に位置すると思われる質量を持つブラックホール、あるいはそれらが合体して形成されたブラックホールが発見されるようになりました。
特に注目されたのは、GW190521と呼ばれる重力波イベントです。これは、太陽質量の約85倍と約66倍のブラックホールが合体して、太陽質量の約142倍の巨大ブラックホールと重力波を放出したと考えられています。合体前のブラックホールも、合体後のブラックホールも、従来の恒星進化による形成理論では説明が難しい、質量ギャップにある質量を持っていました。
『質量ギャップ』ブラックホールを説明する新たなシナリオ
このような質量ギャップのブラックホールがどのように形成されたのかは、現在、活発な研究テーマとなっています。従来の恒星進化とは異なる、いくつかの可能性が提案されています。
一つは、「多段階合体」のシナリオです。これは、ブラックホールが密集している特別な環境、例えば銀河の中心や球状星団などで、ブラックホール同士が繰り返し合体を起こし、徐々に質量を増やしていくという考え方です。これにより、恒星進化だけでは到達できない質量のブラックホールが生まれ得るとされています。
そしてもう一つ、深淵なる宇宙の謎である「ダークマター」とも関連する可能性として、「宇宙初期に形成されたブラックホール」、すなわち「原始ブラックホール」であるというシナリオが注目されています。
原始ブラックホールとダークマターの可能性
原始ブラックホールは、恒星が進化してできるブラックホールとは全く異なり、宇宙が誕生して間もない頃、物質の密度が非常に高かった領域が自身の重力で潰れて直接形成された、という仮説上の天体です。宇宙初期の宇宙には、密度の「ゆらぎ」があったことが分かっており、このゆらぎが大きかった場所で原始ブラックホールが誕生した可能性が理論的に示唆されています。
原始ブラックホールは、その質量によって、非常に軽いものから、恒星質量、さらには超大質量ブラックホールに匹敵するものまで、様々な質量スケールで形成され得ると考えられています。もし、質量ギャップにあるブラックホールが、このような宇宙初期に誕生した原始ブラックホールであるならば、それは恒星進化の限界を超えた質量の天体として観測されることを説明できます。
さらに、この原始ブラックホールが宇宙のダークマターの正体の一部、あるいは全てである可能性も以前から議論されています。もし、質量ギャップのブラックホールが原始ブラックホールであり、かつ原始ブラックホールがダークマターの候補の一つであるならば、重力波観測による質量ギャップブラックホールの発見は、ダークマターの正体を探る上で非常に重要な手がかりとなります。原始ブラックホールの質量分布や存在頻度を調べることは、ダークマターがどのような姿をしているのか、そして宇宙初期がどのような状況だったのかを解き明かす鍵となるのです。
今後の展望
重力波観測によって質量ギャップのブラックホールの存在が明らかになったことは、従来のブラックホール形成理論に新たな問いを投げかけ、宇宙初期の状況やダークマターの正体といった、宇宙論における最も根源的な謎に迫るための新しい道筋を示しました。
今後の重力波観測データの蓄積や、より感度の高い次世代重力波望遠鏡の登場は、さらに多くの質量ギャップブラックホールを発見し、その質量分布や性質を詳細に調べることを可能にするでしょう。これにより、多段階合体シナリオと原始ブラックホールシナリオのどちらが有力なのか、あるいは全く新しい形成メカニズムが存在するのかが明らかになってくるかもしれません。
宇宙の深淵には、ブラックホール、ダークマター、ダークエネルギーといった、まだ知られざる謎が満ちています。重力波という新たな「耳」は、これらの謎が複雑に絡み合う宇宙の初期や進化の歴史について、私たちにこれまで想像もしなかった新しい物語を語り始めているのです。深遠なる宇宙への探求は、これからも続いていきます。